GORGE








「ひとが狂うのって簡単だと思いませんか?」



久し振りにありついた宿で、さぁ今から寝ようか、という時になって。
今回の同室者はさらりと物騒なことを言い出した。


「確かに妖怪は自我を保てなくなっていますけど。
じゃぁ、人間が狂わないなんて誰が決めているんでしょうね」

「…いきなりどしたの? 八戒サン」

人間だって些細なきっかけでも結構あっさりと、狂う可能性はあるということを
ふと思い出してしまったんです」



にっこりと。
まるで普通に他愛も無い話をしているかの如く笑みを見せる八戒に、悟浄は溜息を零した。



―――お前がいうとシャレになんねーっての…



目の前にいる一見人当たりのいい人物は。
かつて、狂気の淵を垣間見る処までいった過去を持っていた










少し前に、雪深い山の中で出会った妖怪の男は
守るべきモノを守ろうとして、守りきれず

自分達の目前で突然狂っていった。


…いや、本当に彼が狂っていたのかどうかは
本人以外誰も判らない


自分達に出来たのは、彼と同じように
―――”狂った”彼を殺し、彼の為に墓を建ててやるだけだったのだ…






当たり前の筈のことを『夢』と呼ばねばならない…
その名の通り、次第に叶うことが難しくなっている『現実』



誰だって望んだことは、只…
日常を、平穏無事に過ごすことだけだっただろうに……



昔は、”当たり前”だった筈のことでさえ
望むことは『夢』になってしまったのだろうかと―――

こんな些細な望みさえも叶うことは
『奇跡』の域に入ってしまったのだろうか……











「ま、今の世の中、どしたって人間より妖怪が強いんだからさ。
単に、イメージっての? その差じゃないのか」

「イメージ?」

「う〜ん…ちょい違う気もするケド
妖怪が人間を殺すのは”悪”で、人間が妖怪を殺すのは”正当防衛”?」

「ああ、なるほど」





―――殺られる前に殺る

それは、自分達にも当て嵌まる、今までの行動の起因の一つ




人間達もまた、例外ではなく、そういう言い訳ができる
”弱い立場”であるがゆえに…









そして
更に続けられた言葉に、悟浄は思わず絶句してしまう




「でも悟浄
”正当防衛”もやりすぎると”犯罪”になるんですよ?」




僕、経験者ですから、と
あはは、とにこやかに笑う相手に一体どう返答すればいいのか





「八戒…お前、何がいいたいワケ?」

「ああ、すみません。別に困らせるつもりはなかったんですけど」




くすくすと、笑い続ける相手にそろそろ疲れを感じ始める。




「ただ、ふと思ったんですよ
今現在こうしている僕達にしても、いつでも狂う可能性があるんだなって」





別に、忘れていたつもりはなかったけれども
妖怪達が自我を失い始めた時に、自分達はそうならなかった

だからといって
妖怪である、ということが狂う理由の一因であるのならば
自分達だって可能性が全く無いわけではないのだ






「ま、そうなったらそん時考えればいいんでねーの?
多分、手遅れになる前にどうにかしてくれるでしょ」

「おや、他力本願ですか?」

「だってよ、自分でワケわかんなくなったらそーするしかねーんでない?」




ひとが狂っていく様なんてもう見たくなかったのに
現実はそう甘くはないらしい




「最高僧サマが保証してくれたことだし?」


「殺してやる、ですか…」





問うたのはこの場にいない少年だった。
全てを言葉にすることはなかった…いや、出来なかったのだろうが。
それでも、彼が何を言おうとしていたのかは瞬時に判った。



…自分達もまた、少なからずとも。心の奥に浮かんだから…





そして、問い掛けられた相手といえば。
途中で言い淀んだ言葉にも関わらず、即効返事を返していた。

どんな気持ちでそう告げたのか
逆光ゆえにその表情は読めなかった



答を貰った少年も、ただ静かに頷くだけで…喜ぶでもなく哀しむでもなく…
…それ以上何もいわなかった。











「もし、悟空が狂ったら…
この世界は終わりでしょうねぇ」

「は?」




また突然脈絡もなく何を言い出すのかと
悟浄は怪訝な顔をする。




「だって、彼を本当に止めることができるひとなんて
いないと思いますし」

「お前…さっき自分でいってなかった? 
三蔵サマがいるでしょーが」

「悟浄、貴方…三蔵が言葉通り実行できると思います?」

「できるだろ、あの鬼畜生臭坊主サマは。
そりゃ、可愛い小猿ちゃん相手じゃ俺たちと違って少しは躊躇うかもしれないけどよ
それでも、目的を果たす為ならなんでもするんじゃねーの
何より、小猿ちゃんとの約束は必ず守るっしょ」





確かに、脆い部分も持ち合わせてはいるが
目的を果たすためならば手段を選ばない強さももっているだろうと

悟浄は、そう思う







だが、八戒の見解は少し違っていた。



似たような状況ならば
既に過去に起こっている
自分は、その有様を一部始終見ていた。











あの、砂漠にて―――

自ら、金鈷を外して戦う悟空は、狂っているのも同然の姿であった。
事実、自分達も命の危険に冒されたのだ。

三蔵とて、例外ではなかった




だが、彼は
一旦は構えた銃を、なんの躊躇もなく放り投げたのだ



あの、悟空を相手に
素手、同然で………












「三蔵は、悟空を殺すことは出来ないのではないでしょうか…」

「ああ、そーいや前にあったよな
三蔵サマ、かなり無茶していらっしゃったようで」




自分だって瀕死に近い状態だったってのに






「でも止めたんだろ。結果オーライ。それでいーんじゃねーの」

「それは、そうでしょうけれど…」

「それに、あの時はよ、悟空だって本当に狂っていたわけでもねーだろが
意味合いは違うだろ」







本当に、悟空が正気を失って、何も判らなくなったとしたら

三蔵はちゃんと実行するのではないだろうか
誰にいわれなくとも




あの男は
自分の本当の望みには気付かない、不器用なところがある
己の感情だけならば実にあっさりと、殺してしまいかねない




おそらくは、誰の為でもなく…
悟空自身が、本当にそう望んだから
…それだけの理由でも三蔵にとっては充分だろう―――













黙り込んでしまった八戒に、悟浄は軽く云いはなつ、




「ま、”もしも…”なんて話はするだけ無駄なんじゃねー?
実際そうなるわけでもないし」

「悟浄…」

「でもよ、小猿ちゃんが暴走したら終わりだ、ってーのは分かる気もするけどな
ストッパーいねーのは事実だろうし」

「え?」

「小猿ちゃんが暴走する原因なんて、一つっきゃねーでしょ」






悟空が暴走する何よりの起因。
…三蔵の、危機……もしくは……―――




「そういえば、それが何よりの大前提ですね」





三蔵が有言実行出来るかどうか以前に。
彼が無事存在さえしていれば悟空が狂う可能性は皆無に近いのだと
そう、思う


『殺してやる』と三蔵は応えてはいたけれど
誰よりも、悟空自身が、三蔵にそうさせないのではないのだろうかと
…そう、ならないようにするのではないかと……




それじゃ…


そこまで思考したときに
新たに、八戒の脳裏にふっと過った考えがあった





逆の、可能性
三蔵が狂うことは、あるのだろうか…?






だが

すぐさま、ありえないことだと否定する



ひとが狂気に陥るのは簡単だと、話を振ったのは自分だった
人間だって例外ではないのだと






しかし、だからといって

三蔵がそうなるとは何故だか思えなかった






何故だかそう、確信できてしまう
自己を失い、狂っていく様など、想像が出来ない。





でも……




いつぞやの時を思い出す
三蔵もまた、ある意味普通の人間には違いなくて





何がきっかけで、いつどうなるのかなんて
本当に、誰にもわからないのだ






ああ、でも
悟空がいれば大丈夫でしょうか




本人は認めずとも、精神的な部分での悟空の存在が大きいのは明らかだと思うから。



三蔵が悟空のストッパーであると同時に
悟空もまた三蔵のストッパーであるということ


2人だけに存在している、見えない絆…








そこまで考えて、矛盾に気付く




では、結局は
もし、どちらかが狂気への道に踏み込んだとしたら

あの2人は狂いゆく時までも共に歩んでいくことになるのだろうか…



それとも……











「おい、八戒」


溜息混じりの呼ぶ声に、ハタ、と我に返った
視線を向ければ、悟浄が訝しげにこちらをじっと見つめている。


「なに、いつまでもありもしねぇこと考えてんだよ?
くだらねぇだけだろーが
俺は自分が狂ってるだなんて自覚ねーしお前もだろ。
それとも、狂った方がいいのか?」

「いえ、そういうわけでは…」

「んじゃ、もうやめとけ。
可能性はあくまで可能性なんだし、絶対そうなると決まってるわけでもねーんだからよ」


もう俺は寝るから…と
ベッドに横になった悟浄に、八戒は苦笑し、部屋の灯りを落とす。






できることならば

そんな日が永遠にこないことを祈りつつ―――


















20020602
(20020727 改訂)



ZEROSUM7月号(RELOAD1巻収録・act.3)を読んでの勢いついでに出来た代物(笑)
(あれだけ感想書いておきながらまだ思うところがあったらしい☆)

といつつも、実際八戒がこんなこと考えていることはないと思うんですが
まぁ…あくまで、ここだけの話、ということにしておいてください。
三蔵と悟空本人同士でもよかったんですけど、どちらかといえば周りから見た2人という形の方が書きやすそうだったのでこうなっただけです。
実際、三蔵があの言葉をどんな気持ちで告げたのか、悟空がどう思ったのかというのは本人じゃなければ判りませんから。あくまで推測。

ある意味感想で書ききれなかった部分を代弁させるという感じで書き始めた筈だったんですが、やはりといいますか当初狙っていた処から微妙にズレていってしまった挙句、中途半端になった感も否めません。
6巻内容とどうしても連動しつつも全部書ききれてないですね。
今のところの精一杯というところでしょうか。テーマ的にも難しいところだと思うので。

そして、実はさり気に.『THE SUN〜』への布石も兼ねています☆
私的見解ではありますが、行き着く処はつまり、そういうことです…










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